中原眼科院長・眼科医 中原将光の 技術を追い求める姿勢に迫る!
失敗しないことに一流のこだわりを持つ、眼科医 中原将光。大学病院、県立病院、フリー執刀医を経て、追い求める理想の医療を提供するため、2021年に中原眼科開業。2015年には、「国民のための名医ランキング」にも名前が掲載。中原将光さんの飽くなき探求心、技術を追い求める姿勢を深堀していきたいと思います。
失敗しないことに一流のこだわりを持つ、眼科医 中原将光。
大学病院、県立病院、フリーの執刀医を経て、自身の追い求める理想の医療を提供するため、2021年に中原眼科を開業。
2015年には、「国民のための名医ランキング」にも名前が掲載されます。
眼科医 中原将光の飽くなき探求心、技術を追い求める姿勢を深堀していきたいと思います。
眼科医 中原将光(中原眼科)「医師を目指すまで」
中原将光さんは、1978年生まれ、東京都武蔵野市出身の眼科医です。
日本眼科学会認定専門医で、略歴は、以下の通り。
・私立海城学園卒業
・国立浜松医科大学医学部卒業
・2003年:東京医科歯科大学眼科
・2005年:深作眼科・横浜市大センター病院眼科
・国際親善病院眼科
・県立足柄上病院
・フリーランスの眼科手術専門として活動
・2021年:中原眼科を開業
私立海城学園
中原将光さんは、私立海城学園を卒業しています。
私立海城学園は、新宿区の私立男子校で、平成23年度より中高完全一貫制の学校になりました。
タレントの徳光和夫さんも、この学校の卒業生です。
偏差値は非常に高い進学校で、偏差値74~75と優秀な人材を輩出してきました。
幼いころから恵まれた家庭環境だったようで、両親が勉強熱心、ですので勉強する環境は整っており、
自然と医学の道を志すようになります。
手先が器用であったことから、図工の授業が大好きだったとのこと。
医師は精密な手先の技術が求められますから、学業優秀でもあった中原将光さんが医師を志すのも、うなずけます。
眼科医 中原将光(中原眼科)「医学部生時代」
国立大学法人 浜松医科大学 国立大学法人浜松医科大学公式サイト。昭和49年、静岡県内唯一の国立医科大学として開学以来、人間性を重視した教育を実践しています。教育、研究、入試情報、学生生活、大学ニュースなど最新情報をご覧いただけます。
研修医
中原将光さんは、国立浜松医科大学医学部を卒業しています。
浜松医科大学医学部は偏差値は、だいたい65付近。
優秀な大学です。
医学部生時代ははじめ、心臓外科や消化器外科、脳神経外科など、
ドラマにもなるような、いわゆる花形である科を目指していたようです。
また、当時は眼科はマイナー科と言われ格下に見られていたみたいなんです。
しかし、眼科の手術が海外では一番難しいと評価されているという話を聞き、
研修医時代の5年次に、臨床実習が始まり、病院の各診療科を回るようになった際、
眼科の執刀医の細かな技術に驚かされ、手先も起用で体力もあった中原将光さんは、
自分に向いていると感じたようです。
そこから眼科の魅力にとりつかれ、もっと様々な患者を診たいという気持ちが芽生えます。
医学部の休日を利用してアルバイトし、他の病院へ出向いて、外来や手術を担当していたとのことです。
自分の技術を磨き、優れた医師になりたい・医学を極めたいという想いが伝わるエピソードですよね。
眼科医 中原将光(中原眼科)「医師としてのキャリア」
東京医科歯科大学眼科
先端的な検査法を用いて、視機能および分子生物学的検査によって精密な診断を行い、的確な治療で対処しています。主に強度近視、ぶどう膜炎、視神経疾患、白内障、緑内障、網膜剥離、糖尿病網膜症などの疾患を対象としています。
引用元:www.tmd.ac.jp(引用元へはこちらから)
中原将光さんは国立浜松医科大学医学部での研修医時代を終え、東京医科歯科大学眼科にて医師としてのキャリアをスタートさせます。
2003年から勤務を開始し、2005年まで東京医科歯科大学眼科に在籍し、研鑽を積みます。
当時は、豚の目を使った手術のトレーニングを繰り返し、技術を身に着けたと語っています。
深作眼科
中原将光さんは2005年から、六本木と横浜の深作眼科にて勤務を開始します。
1988年に開設した深作眼科は、国内外で非常に高い評価を得ている眼科で、数多くの⽩内障、近視矯正、網膜硝⼦体などの眼科⼿術を提供してきました。
中原将光さんは、深作眼科にいて副院長を務めました。
2015年には、『2016年版「国民のための名医ランキング」』にて、深作眼科の深作秀春院長先生と、当時副院長であった中原将光さんが掲載されました。
『2016年版「国民のための名医ランキング」』は、名医を様々な観点から分析しランク付けした患者目線の医師ガイドブックです。
横浜市大センター病院眼科