ラグビーの神様平尾誠二と現役時代を共にした。神戸製鋼を優勝に導いた 富岡剛のエピソード集。
コベルコ神戸スティーラーズは1988年度~1994年度にかけて、全国社会人大会と日本選手権の2冠を7連覇。
ラグビーの神様と名高い平尾誠二を共に現役時代を過ごし、神戸製鋼の全盛期を支えた富岡剛のエピソードをまとめます。
コベルコ神戸スティーラーズは1988年度~1994年度にかけて、全国社会人大会と日本選手権の2冠を7連覇。
ラグビーの神様と名高い平尾誠二を共に現役時代を過ごし、神戸製鋼の全盛期を支えた富岡剛のエピソードをまとめます。
生年月日:1968年5月8日
出身地:東京都渋谷区
血液型:AB型
身長 :181cm
趣味 :音楽鑑賞・映画鑑賞・ボディメイク
富岡剛は実は野球少年だった。
富岡剛は、青山学院幼稚園・初等部・中等部・高等部・大学を卒業。
幼稚園から大学まで青学ということから良家の出身であることが窺える。
ラグビー選手として神戸製鋼に入団した富岡剛であったが、小学校までは野球のリトルリーグに所属していた。
中学1年の12月に大学ラグビー早明戦を見学したことがきっかけで、中学1年よりラグビーの道に進むようになった。
奇しくも恩師である平尾誠二も、小学時代は野球少年、中学1年からラグビーを始めたのであった。
富岡剛はこんなラグビー選手だった。
富岡剛は青学時代、キックの処理能力が高い選手が務めるフルバックで活躍。
しかしプロとして神戸製鋼に入団してからは、スピードが求められるウィングとして起用される。
ピッチの両端に位置し、味方が繋いだボールをトライに繋げる重要なポジションである。
チームの中で最も走力が高く、さらにロングキックを蹴れるパワーと正確さを持ちあわせている必要があった。
1991年に青学へ視察へ来ていた平尾誠二(神戸製鋼主将)の誘いを受けて、神戸製鋼コベルコ・スティーラーズに入団、ウイングとして活躍し、神戸製鋼の全盛期を支えた。
神戸製鋼は日本選手権7連覇を達成しており、特にV4(1991年度シーズン)からV7(1994年度シーズン)に多大な貢献を果たし、「ゴルゴ」の愛称で呼ばれる。
特に1992年12月27日の第45回全国社会人大会準々決勝では、後半35分、ウイング富岡剛が、マツダのパント攻撃に悩まされながらも、相手選手3人を引きずりながら左隅へダメ押しのトライを挙げている。
さらに日本選手権出場4度目で史上最多となる74得点を記録(歴代1位)、またV7を達成した1994年度シーズンにはプレースキック成功率でも歴代1位で史上最多となる12ゴール、1PGを記録するなど、多くの記録を持つ。
チャンピオンに見えると平尾誠二に言わしめた富岡剛の学生時代。
当時青山学院大学のラグビー部に所属していた富岡剛の元に、日本代表キャプテン・神戸製鋼キャプテンであった平尾誠二が現れる。
育成選手扱いとしての採用という形であり、富岡剛本人も「試合に出れない」と感じていたようだ。
しかし、平尾誠二が富岡剛の「走り方が綺麗、グラウンドに立っている佇まいがいい」と言い、チャンピオンに見えると評価したことで、神戸製鋼入団を決意。
後に富岡剛はYouTubeチャンネルにて、当初は選手としての平尾誠二を決して好きではなかったようだが、青学学食に現れた平尾誠二のオーラと雰囲気に圧倒されたと語っている。
富岡剛が平尾誠二から学んだ理想のリーダー像。
2024年3月29日に公開されたYouTubeチャンネル『キング冨岡の成金上等』では、かっこよさと憧れを平尾誠二より学び取ったと語っている。
病症に伏して最後を迎えた平尾誠二は、最後まで平尾誠二を貫き続け、カッコいいまま、富岡剛を憧れを持たせたままであったという。
平尾誠二は試合でピンチや逆境の際、普段は口にしない「気合と根性だ」と発しチームを鼓舞したが、富岡剛はネットビジネスの業界に参入してからも「最後は気合と根性」だと檄を入れるのは、この平尾誠二との想い出からきているとのことだ。
富岡剛はボディメイクコンテストでもグランプリ受賞。
富岡剛は2016年からボディメイク大会でも結果を残す。
神戸製鋼に入団してからは、今までのポジションとは別のウイングとして類まれな結果を残すなど、努力の人間として知られる。
一般社団法人ベストボディ・ジャパン協会が主催する「ベストボディ・コンテスト」では、2016年度宇都宮大会・福井大会・岡山大会の3連続優勝を果たす。
写真は2016年10月16日に行われたベストボディ・ジャパン2016岡山大会で、マスターズクラス(40歳~49歳)にてグランプリを受賞した際のものである。※冨岡剛(福岡県)【190点】
人生を通して富岡剛は富岡剛でカッコよく。
ラグビー選手としてのキャリアを終えた後の2003年、外資系ネットワークビジネスの創業者ダン・ヒギンソンと出会い、ネットワークビジネスの世界に身を転じる。
2005年から2006年にかけて、世界一のディストリビューターの証であるディストリビューター・オブ・ザ・イヤーを獲得。
日本のネットワークビジネス成功者ランキングでは、シナジーワールドワイド所属の富岡剛が約1.7億円年収で日本第5位となっている。
特に2009年には世界中のネットーワークビジネスにおけるディストリビューター収入ランキングにおいて、日本人最上位、世界9位タイを記録。
貪欲に勝ちに拘る姿勢は、スポーツ選手としての現役時代も、ビジネスに身を投じた現在も変わっていない。
引退。そして富岡剛からキング富岡へ。
1998年に神戸製鋼を退団し、その後一時母校である青山学院大学ラグビー部の監督を務めるが、2001年で退任。
その後はネットワークビジネスの世界に転身し、オーストラリア・ブリスベンにペントハウスを購入して活動拠点を移すなど成功を収める。
出展:Youtube
億万長者が「億」を稼ぐためにやってきたことを暴露します【キング冨岡の成金上等】
本日の動画はキング冨岡の自宅に伺い取材をしてきました。どうしてお金持ちになったのか?今までどんな人生を歩んできたのか ...
自身のYouTubeチャンネル『キング冨岡の成金上等』を開設し、様々な令和の成金ゲストを迎えて成功譚を届けるビジネスバラエティ番組にキング富岡名義で出演。
現在着手するメタバースプロジェクト「SUZUVERSE」では、サッカー界のレジェンドであるロナウジーニョとの契約も成立させるなど、富岡剛はこれからも時代の先を走り続ける。