イチローの同点打は伝説の域であり、2023年大会のメキシコ戦の村上の1本を上回る一打として筆者の記憶に残っている。
テレビの前で野球部の同級生と大喚起したものだ。
そして抑えのダルビッシュのスライダー、あんなに曲がる変化球が打てるわけがない。
1993年生まれの野球少年・筆者。
新潟で放送されるのは必ず巨人戦だ。
毎日夕飯時には試合を見ていたものだが、筆者は何故か上原浩治から目が離せなかった。
140キロ台中盤のキレの良いストレート、そしてキレの良すぎるフォークと制球力。
巨人の圧倒的エースとして君臨した。
ポーカーフェイスが投手として有るべき姿という風潮があった当時、上原浩治のガッツあふれる様子に惹かれたものだ。
俺?もちろんグローブは上原浩治モデルを使用していたよ。
俺は野球部時代、ポジションは投手だったからね。
さて筆者は2009年に高校入学し、テニス部になった。
ここで釘付けになって、今でも筆者の心をつなぎとめるのが、錦織圭だ。
錦織圭は2011年、大ブレークを果たす。
2011年のバーゼル【ATP500】大会、準決勝ではBIG4のノバク・ジョコビッチを破ることになった。
この時は高校で数学の授業で「視聴覚室」という部屋で講義を受けていたのだが、スマホを使って試合映像を見ていた。
小テストの真っ最中にも関わらず筆者は大喚起。教師から大いに怪しまれたのであった。
そして決勝戦では地元の、そして世界の超スーパースター、ロジャー・フェデラーとの対戦。
錦織圭はこの試合をきっかけに、フェデラーに憧れることを辞め、以降マイケルチャンがコーチ就任。
そして大ブレークを果たし、自らが憧れられるトップ選手になるのだった。