青山清利は古物売買の株式会社a-senseを設立した人物であり、現在はアーリーリタイアしてベンチャー企業への出資やアート収集などを行っています。若手アーティストTIDEの作品を4,400万円で高額落札したことでも話題となりました。青山清利のプロフィール、趣味、略歴、SNSなどについてまとめました。
目次
青山清利(あおやま きよとし)とは、神奈川県横浜市で生まれ育ち、特別奨学生として大学へ進学し、株式会社光通信で全国1位の営業成績の実績を持つ人物である。
4,000万円の借金を背負ったことで一発逆転をかけて株式会社a-senseを創業すると事業が成功し、その後は借金返済し30歳で経営から身を引いている。
現在は投資家として活動しながらお金より時間を大切にした生活を送っており、その暮らしぶりはセレブさながらで、六本木ヒルズ在住で高級外車を数台保有したり、注目の若手アーティストTIDEの作品『two of us』をSBIアートオークションにて4,400万円で高額落札したりしている。
サーフィンや柔術では、趣味の域を超えて大会へ参加し賞を獲得したこともあるほど、青山清利は何事にも全力で取り組んでいる。
引用元:seesaawiki.jp(引用元へはこちらから)
名前:青山清利
読み方:あおやま きよとし
生年月日:1974年7月8日
星座:蟹座
血液型:B型
出身地:神奈川県横浜市
現居住地: 東京都
身長:165cm
体重:65kg
学歴:拓殖大学商学部 卒業
引用元:peraichi.com(引用元へはこちらから)
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青山清利さんの性格は明るくひょうきんなタイプで交友関係も国内外に広い。結婚歴は不明。趣味は学生時代からやっているサーフィンと父親がプロボクサーだった影響から始めた格闘技。現在も柔術を習っており、定期的に大会にも参加している。タバコは一切やらず、お酒もグラスに口をつける程度で健康志向。現在は六本木ヒルズ在住。
引用元:jobjob-appeal.com(引用元へはこちらから)
サーフィン
大学時代からサーフィンが好きだった青山清利氏。海外でも波乗りをしているそうです。
大学時代からとなると、サーフィン歴はかなり長いですね。
トライアスロン
トライアスロンとは、水泳・自転車ロードレース・ランニングの長距離3種目を連続して行う競技です。オリンピックの正式競技としても行われています。
とても過酷そう…。それにしても、青山清利氏の筋肉がすごい!日々鍛えているのでしょう。体型からもスポーツマンということが伝わってきます。
格闘技・柔術
子供の頃に空手や総合格闘技を習っていただけあり、大人になっても格闘技や柔術を習っているようです。
定期的に試合にも出場していて、大会でメダルを獲得した写真も掲載されていました。
引用元:peraichi.com(引用元へはこちらから)
アートが趣味でもある青山清利は、2020年10月3日に開催されたライブ配信型のオークション「SBI Art Auction Live Stream」にて、TIDEの作品である『two of us』を予想落札価格100万~150万円を大きく上回る4,400万円で落札しました。
この落札は、「SBI Art Auction Live Stream」の最高額落札となりました。
そもそもTIDEとは、元々IDETATSUHIRO名義で活動していた若手アーティストで、近年ではネコをモチーフにしたキャラクターとモノクロの世界を組み合わせたCATシリーズを中心に制作しています。
TIDEの作品は、青山清利を含む多くのコレクターやディーラーに注目されているだけでなく、業界では著名なアーティストの藤原ヒロシからも絶賛されています。
引用元:chuumoku-shachou.com(引用元へはこちらから)
commonでTIDEの作品をみた
— DODI™ (@dodi_jp_) Oct 4, 2020
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モヤモヤする事があったんだけど、TIDEの素晴らしい作品が完成して全てぶっ飛んだ。最高😊
— サカグチコウヘイ (@lifeprotex1979) Apr 9, 2021
TIDEさんの作品生で見られて嬉しみの極みでした🙏🙏 https://t.co/qPiV4cMdmG
— ナタデコ狐 (@pankotomato) Apr 17, 2021
青山清利さんの両親はどちらも経営者で、父は住設工事会社・母は寿司屋を経営されていたそうです。
裕福な家庭環境で育ち、大学進学時には数学の学力が評価され特別奨学生(※入学金等が免除される制度の事)として拓殖大学商学部経営学科へと入学します。
しかし、大学時代は昼間にサーフィン、夜はクラブのバイトという生活をおくっていた結果、特別奨学生初の留年者となり大学を騒がせたそうです。既に大物感を感じるお話ですね。
それでも無事に拓殖大学を卒業し、1年間海外放浪した後に株式会社光通信の営業職として入社します。
引用元:ameblo.jp(引用元へはこちらから)
海外放浪後、株式会社光通信に営業職として入社しました。1年のうちに休みが数日という生活が続きました。
営業成績は全国1位。後に横浜支店、沖縄支店の責任者として各支店も全国支店のトップの成績になったことがあります。
引用元:jobjob-appeal.com(引用元へはこちらから)
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そんな青山清利に転機がおとずれます。両親の会社が共に倒産し、連帯保証人だった青山清利はなんと4,000万円もの借金を背負うことになったのです。
そこで青山清利は独立を決心し、古物の買取業を始めます。
青山清利が古物商で起業したきっかけは、自身がお金がなくなった時に質屋に時計を売りに行った際の営業態度があまりに悪く、逆に業界への参入余地を感じたからだそうです。
引用元:human-profile.hatenablog.com(引用元へはこちらから)
古物業で株式会社a-senseを起業したものの、起業当初は資金が枯渇状態で事務所も借りることができず、
自宅(ワンルーム)に電話回線を1本引き、出張買取からの立ち上げだった。
もちろん求人に使える資金も無かった為、地元横浜の仲間達に少ない給料で入社してもらい、
日夜、出張買取や広告設置に走り回り、またしてもほとんど寝ることができない生活が続いた。
そのかいもあり、1期目の売上が1.5億円、
2期目は全国展開を進め、売上高を14億円まで成長させた。
引用元:jonetu-ceo.com(引用元へはこちらから)
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